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それはもはや第1話の残響か――アニメ「残響のテロル」について

「残響のテロル」第1話にあった衝撃

今季開始アニメは第1話でテロが起こる作品が多く見られ、さながら〈テロルの季節〉とでもいうべき様相を呈していた。
東京ESP」、「アルドノア・ゼロ」、「RAIL WARS」、そして「残響のテロル」において、テロ描写が見られたのであるが、中でも「残響のテロル」第1話のテロ描写は非常に生々しく、爆弾テロによって崩壊するビルの描写に、世界貿易センタービルの崩壊を想起した方も多かったことだろう。

 

 

 

 

 アニメ「残響のテロル」は、九重新(ナイン)と久見冬二(ツエルブ)が高校に転校してくることから始まる。彼らはスピンクスと名乗り、犯行予告を動画サイトに投稿。そして、ある夏の日。東京で大規模な停電が発生し、2人が仕掛けた爆弾テロにより都庁が爆破される。スピンクスと警察、そしてFBIとのゲームがここに始まる……というのがストーリーだ。

 

マクロスプラス」「カウボーイ・ビバップ」「坂道のアポロン」で知られる渡辺信一郎監督と、「ビバップ」で渡辺とコンビを組んだ作曲家の菅野よう子、そして「坂道のアポロン」でアニメーション制作を担当したMAPPAが集結したということで、放映前から注目度の高い作品ではあったが、第1話のリアリティの高いテロ・シーンゆえに、私の周辺ではかなり話題となっていた。

 

なお、第1話放映直後、私は以下のようなことをツイートしている。

 

*1

 

 

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かなり興奮していることが伝わるとは思う。

 

動画サイトでの犯行予告。LINEでやりとりする大衆。そういった現代のリアルが描かれる中で、すぐそこで起こるテロ。テロというものが9.11と3.11を経たからこそのリアリティを伴った想像力で描かれるということ。そこに生々しい凄みがあったわけだ。

 

爆破テロを強いインパクトで描いて見せた第1話とは打って変わって、第2話以降は刑事の柴崎、FBI側のハイヴとスピンクスとのじりじりとした頭脳戦が描かれるようになる。そして、ヒロインである三島リサとナイン、そしてツエルブとの交流が深まるにつれ、悲劇めいたものが予感されるように……というのが、今の流れである。

 

「残響のテロル」第2話以降をどう観たか

だが、2話以降の「残響のテロル」には、私はどうもノレないでいる。

 

確かに、「カウボーイ・ビバップ」で見られたようなクールでオフ・ビートな感覚、スタイリッシュな映像美というのは、「残響のテロル」でも健在であり、その点では十分に楽しめる。
たとえば、第4話。三島リサをツエルブがバイクに乗せて走るシーン。トンネルに入る瞬間のカメラ・アングルや、カメラの揺れ方などは、ウォン・カーウァイ監督の『天使の涙』を意識したものであり、こういうお遊びをスマートに挿んでくる感覚は、渡辺信一郎監督ならではのものだろう。

 

 

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しかし、肝心の捜査側とスピンクスの頭脳バトルが、頭脳バトルものとしてはまったく評価できず、それゆえ私はしらけてしまうのだ。

 

頭脳バトルものとして見た「残響のテロル」

なぜ、「残響のテロル」は頭脳バトルものとしては評価できないのか。

 

まず、優れた頭脳バトルものの条件として、次のようなものがあると私は考える。

  • 「知的レベルの高い複数のバトル参加者が、互いに相手の手筋を読んだ上で最善手をつくしている」ように見えること

つまり、必要な要素は次の2つである。

  • 「対峙し合うバトル参加者の知的レベルが高い」ように見えること。
  • 「バトル参加者が互いに最善手をつくしている」ように見えること

 

ここで、「残響のテロル」はどうか。
まず、バトルの参加者はスピンクス、ハイヴ、そして柴崎である。
ここではまず、スピンクスと柴崎に注目したい。

 

仮に、「残響のテロル」をスピンクスを〈犯人役〉とする〈探偵小説〉として捉えた場合、スピンクスは〈犯人役〉、柴崎は〈探偵役〉に当たる。〈犯人役〉と〈探偵役〉による頭脳バトルを優れたものとして描くには、スピンクスが賢い〈犯人役〉であり柴崎が〈名探偵〉である必要がある。
しかし、スピンクスが対警察との頭脳バトルにおいて仕掛ける手というのは基本的には警察への謎かけだけである。ゆえに、彼らが賢い〈犯人役〉であるためには、出題する謎が難しくなくてはならない。もっといえば、彼らは難易度の高い謎を設定する以外に、賢い〈犯人役〉たりえないわけである。であるならば、対峙する警察の中で〈名探偵〉としての資格を持たされた柴崎は、暗号の解読において意外な着想・意外な推理を見せて、スピンクスの謎を解いていく以外に〈名探偵〉にはなりえない。しかし、謎そのものが程度があまり高くないため、柴崎の推理にしても意外性がまるで感じられないのである。謎がある知識があればストレートに解ける謎ばかりであり、ある知識を手がかりとしてそこから意外な推理を見せるような場面がまるでないのだ。つまり、柴崎の〈名探偵〉性は推理によって担保されてはいないのである。柴崎が〈名探偵〉としての座を現時点で確保できているのは、歩きまわって捜査する警察が失敗続きで、逆に安楽椅子探偵然とした動かない柴崎がスピンクスの暗号を当て続けているからだ。つまり、警察をバカに描いて彼らとの差を見せることで、柴崎に高い推理力があるかのように描いているのである。

 

たとえば、第2話に次のようなシーンがある。
スピンクスは「最初に二本足、次に四本足、最後は三本足なぁに」と犯行動画で出題する。警察はこれを一般的によく知られているオイディプスが解いたとされる謎かけ「朝は4本、昼は2本、最後は3本」で考え捜査を開始する。動画でいわれている数字とは異なるわけだから、この捜査に対して反対する者が現れて然るべきなのに、柴崎以外の警察は誰も疑問に思わないのである。
警察を必要以上にバカに描いており、ここには薄ら寒さすら感じてしまった。単純化しすぎなのだ。

 

〈探偵役〉が〈名探偵〉だと視聴者に思わせるために、警察を無能な集団として描く。〈名探偵〉の能力を想像する力が欠けているため、相対的に下駄を履かせて〈名探偵〉だとしているのである。*2
実際に大した謎を解いているわけでも、驚嘆すべき推理を見せているわけでもない。〈名探偵〉は劇中での実際の推理でもって〈名探偵〉であると判断されるべきであり、「この人は名探偵なんです」と劇中で設定されれば〈名探偵〉というわけではない。渡辺信一郎はどうもその点を理解できていないようである。
ハイヴが〈犯人〉であり、スピンクスが〈探偵〉となる頭脳バトルでも同様の事態が起きているのだ。

 

リアリティの残響、リアリティの段差

さて、「残響のテロル」という作品が第1話において評価できるのは、そのリアリティの高さゆえである。そして第2話以降の「残響のテロル」を評価できないのは、そのリアリティの低さゆえである。

 

第7話において、FBIがハイブの指示により日本の航空機を爆破するという描写がある。しかし、日本もアメリカも法治国家であるため、ああいった爆破はまず起こりえない。FBIがかかわったということがバレれば、国際問題になるのは必定だからである。それ以前に、航空機を爆破してよいというのは作戦としてFBIが許可するとは思えない。日本の警察がFBIに軽く扱われすぎであるという描写もおかしい。リアリティが低いし、それ以前に非常に幼稚だといわざるをえない。

 

このように第2話以降は、「残響のテロル」はリアリティが低いし、荒唐無稽もいいところである。第1話と第2話以降では、リアリティの描き方に断層がある。もっといえば、想像力の段差を感じざるをえない。

 

想像力の段差はなぜ生じてしまったのか。

 

第1話では、視聴者は傍観者としてテロに立ち会うこととなる。
対して第2話以降は、視聴者はテロリストの視点、そして対テロリスト側の視点でテロに立ち会うこととなる。

 

これは次のように言い換えが可能である。
第1話では、傍観者がテロに立ち会ってしまう物語を作者は描いた。
第2話以降では、参加者としてテロに組み込まれている物語を作者は描いた。

 

作者も私たちも、テレビなどを通じて9.11と3.11を傍観者として共有できている。傍観者としてテロや災害に立ち会った者としてのリアリティを共有している。第1話での想像力はそこに立脚したものだからこそ、生々しいリアリティを持つことが可能であるし、視聴者もリアリティがあるものだとして認識できるのだ。

 

対して、テロリストの視点、そして対テロリスト側の視点で、9.11に立ち会えた者はほとんどいない。制作側もそこの視点はおそらくイメージとして持っていないだろう。だから、制作側にあるテロ側、対テロ側の視点イメージは現実に起こったテロではなく、創作におけるテロでしかないのかもしれない。ひょっとすると『太陽を盗んだ男』ぐらいで止まっている可能性もある。*3

 

 

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『カウボーイ・ビバップ』劇場版のように、現代ではなく未来、しかも現代とは政治の有り様も違う未来を舞台にするのであれば、この荒唐無稽さもそこまで気にはならないし、その舞台ならではのリアリティとして認識することも可能であるが、「残響のテロル」は現代の日本を舞台とした作品である。そして、第1話であれだけのリアリティをもってテロを描いてしまった以上、リアリティは保持され続けなくてはならない。そうでなくては、物語として破綻を迎えてしまう。


荒唐無稽な物語と、子どもじみた謎々合戦と。
「残響のテロル」はもはや第1話の残響でしかない。

 

[追記]

だが、最終話で「残響のテロル」は、2010年代のアニメ史を代表するような傑作へと飛翔したのであった。

 

*1:劇中でテロが描かれた映画『カウボーイ・ビバップ 天国の扉』の公開日は2001年9月1日であった。

*2:「カウボーイ・ビバップ」の劇場版とTVシリーズ第14話でも、渡辺信一郎は同じような手段をとっていた。

*3:「残響のテロル」のモチーフのひとつは映画『太陽を盗んだ男』であろう。この映画において、テロリストの城戸誠(沢田研二)は「9番」と名乗る(当時、世界で原子爆弾を保有している国は8ヶ国であり、ゆえに自分は9番目の男だということになるから)。ナインという名前は、これを意識したものと思われる。
また、「残響のテロル」第1話でのプルトニウム強奪も『太陽を盗んだ男』を意識したものであろう。
音楽においても『太陽を盗んだ男』は意識されており、「残響のテロル」でレゲエのような音楽が劇伴にあるのは、『太陽を盗んだ男』で城戸誠がガイガーカウンターをマイクに見立てて踊るシーンのバックで、ボブ・マーリーが流れていたことを意識したものだろう。
余談ではあるが、柴崎の佇まいから、私は『太陽を盗んだ男』で菅原文太演じる山下よりもなぜかスパイク・スピーゲルを連想してしまう。スパイクも柴崎もそれまでいた場所から追放されて、“地上”に降りてきたような存在である。そして倒すべき敵がいるため、以前いた場所に戻るのである。