意外な〈犯人〉と意外な〈探偵〉と――天祢涼『もう教祖しかない! 』を読んで

※以下の文章では天祢涼『もう教祖しかない! 』の内容に触れています。



 天祢涼さんの1年ぶりの新刊『もう教祖しかない! 』(双葉社)を読了した。


もう教祖しかない!

もう教祖しかない!


 ストーリーは、 地方のさびれた団地を舞台に、 新宗教の教祖・藤原禅祐と、一流企業のエリートサラリーマン・早乙女六三志が熱い頭脳戦や心理戦を繰り広げることになる……というもの。


 若者の中の負け組とされる層、さびれた地方の団地など、社会派的なテーマも盛り込まれていることで、そこで注目する方もいるだろうが、この作品の面白さは2人の主人公による心理戦、頭脳戦にある。物語開始時点では信者数30人の新宗教が、8ヶ月以内に信者の数が500人に増えるか否か。もし500人に達すれば、早乙女の勝ち。もし達しなければ、早乙女の負けで早乙女は引退、新宗教自体も解散。以上のルールで2人は頭脳戦を展開するわけだが、その駆け引きが面白い。騙し合い、先の読み合いの応酬にはわくわくさせられる。なお、実は藤原も早乙女も同じビジネス・スクール出身であるため、互いに相手の戦術を予想した上でミスリードしようとするなど、駆け引きも裏の裏をかこうとする実に高度なものに仕上がっている。同じ流派の出であるという設定を導入したことは、駆け引きを盛り上げるという点で大いに成功しているといえるだろう。


 ところで、この作品は本格としても非常に凝った作りになっている。
 勘の良い読者であれば、ある程度読み進めれば、「誰が背後で絵を描いているのか」は予測できる。それでは「なぜその人物が〈犯人〉であると推理で特定できるのか」、言い換えれば「〈探偵〉は何を手がかりとして真相に気づくのか」、まずそれがこの作品における謎として設定されているのだが、実はそれ以外にこの作品にはもう1つ謎が設定されているのだ。
 それは、「誰が〈探偵〉を務めるのか」。視点がコロコロと変わることもあり、〈探偵〉を務める者が誰になるのかは最後まで明らかにならないのだ。〈探偵〉候補も7人ほどいるため、最後に出てきた〈探偵〉に意外さをおぼえる読者もいるのではないだろうか。意外な〈犯人〉だけでなく、意外な〈探偵〉も読者に問われていること。これが『もう教祖しかない!』の本格ミステリとしての面白さだと私は思う。


 ところで、「誰が〈探偵〉として真相を解明するのか」というメタな問いは、実は「〈探偵〉は何を手がかりとして真相に気づくのか」と連動したものである。〈探偵〉として作者に設定される者の条件のひとつは、「手がかりを全て入手できる立場にある者」である。つまり、「〈探偵〉は何を手がかりとして真相に気づくのか」を読み解ける読者であれば、手がかりが何であるかは解っているために、自分と同じように手がかりを把握することが可能だったのは誰かも解るはずなのだ。
 ゆえに、この作品は「意外な〈犯人〉→意外な〈探偵〉」という、ユニークな形式をとっている作品なのである。『もう教祖しかない! 』が凝った作りになっているというのは、この形式ゆえである。


 手がかりとなる部分を巧妙に隠す作者の手口、すなわち巧妙な伏線と、最後に姿を現す意外な〈犯人〉と意外な〈探偵〉。そして、ラブコメディ的な要素。私は天祢涼の作品をクリスティの系譜として読んでいるのだが、中でも今回の『もう教祖しかない! 』は非常にクリスティ的な作品ではないだろうか。


 なお、余談ではあるが。「負けたら即引退」というフレーズ(発想)はやはり、「橋本真也、負けたら即引退」があってのものなんだろうなあ。