だからこそ、照れくさくなるような〈バディもの〉――青柳碧人『玩具都市弁護士』を読んで

今年は『トイ・ストーリー』公開から20周年となる。そんな記念すべき年に、ピクサー・アニメーション・スタジオの新作として日本で公開されたのが、映画『アーロと少年』だ。

 

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同映画は、アパトサウルスのアーロとスポットという名の少年、ともに家族からはぐれてしまった二人(?)による〈バディもの〉である。その形式だけでいえば、ウッディとバズ、ともに持ち主からはぐれてしまった二人(?)の玩具によるバディものであった『トイ・ストーリー』の系譜にあると見なすことが可能だ。*1
 

思い起こせば、『カールじいさんの空飛ぶ家』にせよ、『ファインディング・ニモ』にせよ、昨年公開された『インサイド・ヘッド』にせよ、ピクサーはいつだって優れた〈バディもの〉を送り出してきた。才能・年齢・性格などの差異を乗り越えながら、二人が友情を育み、困難にあたっていく様を描いてきた。仲違いしてしまった親子が、成り行き上バディ関係になってしまったことがきっかけで和解に至る――そんな筋立ての『メリダとおそろしの森』などは、〈バディ〉という関係を希望的に捉えている点で、〈バディものの大いなる讃歌〉だといえよう。

 

今回の『アーロと少年』でも、アーロとスポットの間には種族と言葉の違いが障害としてある。そして、唸ることぐらいしかできない少年と相互理解を深めていくうちに、アーロ自身も成長していく。相棒との冒険譚が成長を促す――ピクサーの思想はどこまでも明確だ。*2このように、『アーロと少年』は、どこまでもピクサー的な作品なのである。


“ハードボイルド・トイストーリー”と銘打たれたSFミステリ

さて、『トイ・ストーリー』公開20周年となる今年。帯に“ハードボイルド・トイストーリー”というコピーが躍る、一冊のミステリが誕生した。青柳碧人『玩具都市弁護士』がそれである。この作品もまた〈バディもの〉だ。 

 

玩具都市弁護士 (講談社タイガ)

玩具都市弁護士 (講談社タイガ)

 

 

同作は、バッバ・シティという名の街を舞台にしたSFミステリである。街には、高度なAI技術が搭載された玩具や家電品などが住みついており、人間と共存している。クラークの三原則ではないが、充分に発達した科学技術(AI)は感情と見分けが付かず、玩具たちは一様に豊かな感情表現を見せる。ただし、彼らのほとんどは捨てられた玩具であり、はぐれ者としてやさぐれてしまっており、それゆえ、治安の悪化したバッバ・シティは「悪魔のおもちゃ箱」の異名をとるほど。そんな街で起こった難事件に、元弁護士のパン屋・ベイカーと、ミズキという少女がコンビを組んで挑む――というのが、本書の内容だ。

 

まず、何よりこの作品において魅力的なのは、キャプテン・メレンゲなどの個性豊かな玩具たちのキャラクター造形である。ニヒルな語り口の中で、彼らが愉快にユーモラスにかわいらいしく動き回る様には惹きこまれること必至だ。

 

ベイカーのもとに持ち込まれる謎は、玩具たちの街で巻き起こった謎だけに奇妙なものばかり。たとえば、野球盤の上で行われた玩具たちによる野球の試合中に、二塁に走者がすべりこんだタイミングで爆破事故が起きた。事故は走者が引き起こしたものなのか……とか。*3トリックも真相も、事件に関与する人物たちの行動パターンも、玩具たちの街だからこそ成立するものであり、異世界ミステリとしての肝である〈舞台設定と謎や推理の融合〉は高いレベルで実現している。それも、作者が舞台設定をきちんと抑えているからこそなのだが、青柳さんの素晴らしいところは、舞台設定を過剰に説明しないこと。登場人物たちの説明も簡潔に済ましてしまうのだが、それでも彼らの個性的な魅力は十分に伝わってくる。テンポ抜群な会話の妙もあってのことではあるが、このバランス感覚がとにかく青柳さんは抜群なのだ。異世界を舞台とするミステリには、設定を説明しようとするあまり、設定の説明過剰のような状態になる作品がたまに見受けられるが、青柳さんにはそれが見られないのである。語り口がキャラのふるまいを邪魔せず、ストーリーを追う読者の邪魔もしないのだ。物語はテンポよく語られていく。SFミステリとして、このバランス感覚は重要であろう。


ところで、『玩具都市弁護士』は法廷ミステリでもある。*4司法機関である“天使”たちと、被告人である玩具の弁護を請け負うベイカーのバトルが描かれるのだ。ベイカーとミズキは、“天使”たちが用意した推理が誤っている=被告人が無実であることを証明し、真犯人が別にいることを指摘、さらに名指しさえする。ギリギリのやりとり、“攻守”の入れ替わり。ゲーム性豊かなやりとりは、見ていてわくわくさせられる。特に、モグラ叩きゲームが証人として登場する三番目の事件「モグラたちの雄弁」は、彼らとのやりとりも含めて見事としかいいようがない。テンポのよい、そしてユニークな会話のやりとりが、物語だけでなくミステリのゲーム性にまで寄与している様には唸らされた。

 

ミステリとしての面白みにさらに言及するならば、『玩具都市弁護士』にはカーター・ディクソン『ユダの窓』、エドガー・アラン・ポー「モルグ街の殺人」へのオマージュらしき作品もあり、ミステリ・ファンはにやりとさせられるはずだ。


二つの〈バディもの〉が志向したもの

話を戻す。この作品は前述したように、〈バディもの〉でもある。ベイカーとミズキは〈ウッディとバズ〉同様、はぐれものだ。社会からはぐれてしまって、バッバ・シティにたどり着いた者たちなのだ。そんな二人が、持ち込まれた事件に取り組む内に、相互理解を少しずつ深めていく様が『玩具都市弁護士』では描かれる。そして、四番目の事件「マンション・モルグの殺人」で、二人は法廷で対峙することになる。
相棒としてともに歩んできた中で、二人の関係はどうなるのか。ピクサー作品のように、それこそ『トイ・ストーリー』のように、二人は成長できるのか。その点にも注目していただきたい。

さて、『トイ・ストーリー』には、〈ウッディとバズ〉だけでなく、〈ウッディと(持ち主の)アンディ〉という〈バディ〉関係もあった。後者が多くのシーンを費やして描かれることはなかったが、『3』のラスト・シーンを観た者ならば、玩具のウッディと人間のアンディが信頼関係を築き上げてきたことはわかったはずだ。会話することはかなわなくても、通じ合える。言葉を超えた絆。これもまた、ピクサーの思想である。

 

ピクサーの新作『アーロと少年』では〈ウッディとアンディ〉の位置関係をベースにして、〈ウッディとバズ〉の関係が志向された。

一方で、“ハードボイルド・トイストーリー”である『玩具都市弁護士』では、AIは結局AIでしかないとばかりに、人間と玩具との信頼関係が描かれるわけでもなく、玩具同士の相互理解が描かれるわけでもなく、玩具と共存する人間側の関係、〈ウッディとバズ〉に今後なりえるかもしれない二人の関係が描かれた。『トイ・ストーリー』では描かれなかった、玩具と共存する人間同士の〈バディもの〉。これが志向されたのだ。*5――つまり、『玩具都市弁護士』は、玩具たちの世界を舞台とするが、ここで奏でられるのは人間賛歌なのである。まったくもって素直ではない。

 

家族から離れ、時に無慈悲ですらある自然の雄大さに翻弄されながらも、二人で立ち向かっていく『アーロと少年』。

社会から隔絶され、時にグロテスクですらある玩具たちの世界に翻弄されながらも、二人で踏みとどまろうとする『玩具都市弁護士』。

両作品とも『トイ・ストーリー』の系譜に連なるが、私たちの目の前に現れる世界はかくも対照的なのである。

おそらく、両作品を比較した場合、ストレートにメッセージが突き刺さるのは『アーロと少年』だろう。だが、安易に絆を肯定しようとしない『玩具都市弁護士』には、それゆえやさぐれたロマンチシズムのようなものが漂う。そして、そこが素晴らしいのだ。

 

玩具が幅を利かせる街では、人間の図々しささえも、どことなく温かく、頼もしく感じられた。

 

どこか背伸びしたような。強がっているような。だからこそ、照れくさくなるような。
こんなたまらない文章をさらりと投げてくる青柳さんの〈バディもの〉は、友情や信頼関係を全面的に肯定していない分、だからこそ気軽に友人を信じてみたくなる。
紛れもなく傑作。大人にもぜひ読んでもらいたい。

*1:厳密にいえば、二人の凸凹具合からいって、『モンスターズ・インク』の系譜にあるというのが正解であろう

*2:トイ・ストーリー』では自分勝手な言動も目立ったウッディが、『3』では頼れる兄貴的存在にまで成長していたことからも、それは明らかだろう。

*3:小森健太朗『大相撲殺人事件』収録の「土俵爆発事件」を想起させられるほどの、破天荒な事件!

*4:一話と二話は純粋な法廷ものとは言いがたいが、趣向としては法廷ものに近い。

*5:『3』で描かれるアンディとボニーの関係は、継承する者と継承される者であり、同好の士ではあるが、相棒とは言いがたい。