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その構成力は連作短編集でどう活きたか~明利英司『幽歴探偵アカイバラ』を読んで

ミステリ

青春ミステリ『旧校舎は茜色の迷宮』で2014年にデビューした明利英司の一年半ぶりの新作『幽歴探偵アカイバラ』が刊行された。

 

幽歴探偵アカイバラ (講談社ノベルス)

幽歴探偵アカイバラ (講談社ノベルス)

 

 

「なぜ、どんなふうに死んだの──?」幼い頃から幽霊が視える赤茨耕一(あかいばら・こういち)は、彼らの死に様に異常なほど強い関心を寄せていた。耕一は「幽歴探偵」と名乗り、コンビニや病院跡、元ホテルの廃墟などで遭遇した幽霊の来歴を探っていく。6つのエピソードに隠されたリンクが、耕一自身に秘められた謎を解き明かす。新鋭の意欲作!

 

本作は、幽霊を視ることができ、彼らの来歴――幽歴を調べる青年・赤茨耕一を主人公とする、ホラー風味もあるミステリである。
六つのエピソードから成る連作短編集構成だが、あらすじにもあるように、最後の最後で、それらのエピソードの背景で語られてきたものが浮かび上がり、耕一自身の謎が解き明かされることになる。


それぞれ無関係のように思えたエピソードが最後の最後にひとつの物語に収束する。――連作短編集という形式は、その形式ゆえに、ミステリと相性がよい。

最後に配置された一編が驚きを生み、“どんでん返し”を提供することになる。

 

しかし、相性がよいためか、つまり作家にとっては便利であるためか、最後の一編がとってつけたようなものになっているものもたまに見かける。いや、事情はなんとなくわかる。最初は連作短編集として構想されていなかったため、帳尻合わせで一編配置する必要が発生したのだろう……とか。
また、最後の一編で安易に物語をひっくり返せるために、それまでの物語が台無しになってしまっているものも、たまに見かける。これまで引っ張ってきた物語はなんだったのか、と残念な気持ちになってしまうような作品だ。驚くには驚くのだが、それはその唐突さに驚いているだけ……というような。

 

ともあれ、相性の良さだけでなく、作家サイドも編集サイドも融通が効くこともあって(雑誌の連載で発表した短編を後に一冊にまとめられるわけですから)、連作短編集という形式は近年ますます増えている。

実際に傑作も多く生まれている。連作短編集の書き手として現在最も優れているのは、おそらく天祢涼だろう。第13回本格ミステリ大賞の候補作にも選ばれ、天祢自身のブレイクスルーとなった『葬式組曲』、漆原翔太郎を主人公とする〈セシューズ・ハイ〉シリーズ、『謎解き広報課』、『ハルカな花』と、優れた連作短編集を多く世に送り出している。

 

葬式組曲 (双葉文庫)

葬式組曲 (双葉文庫)

 

 

それは、天祢涼の資質とマッチしているからであろう。
連作短編集は短編集にあるライトな感覚と、長編にあるドラマの厚みのようなもの、双方を併せ持った形式だともいえる。天祢涼の軽妙な語り口は、ライトな感覚と直結するものである。また、天祢涼が時折見せる人間の脆さや残酷さというものは、天祢の語り口にノセられてすらすら読み進めていた読者に揺さぶりをかける。そして、天祢涼の真骨頂ともいえる、伏線の扱い。最後のひと捻りは、伏線の巧妙さがあるからこそ生きるのである。なお、天祢の場合、彼自身の優しさも作品に貢献しており、これらが物語としての厚みを生み出しているのだ。

 


では、明利英司はどうだろう。
明利もまた、伏線の扱い方に長けている作家である。デビュー作の青春ミステリ長編『旧校舎は茜色の迷宮』は、伏線を扱う手さばきが絶妙であり、主人公の性格やふるまいの細かな部分まで伏線になっており、その構成力の高さには唸らされるものがあった。『本格ミステリベスト10 2015』において、乾くるみが賞賛したのも頷けるところだ。

 

旧校舎は茜色の迷宮 (講談社ノベルス)

旧校舎は茜色の迷宮 (講談社ノベルス)

 

 

そして、今作『幽歴探偵アカイバラ』である。

連作短編集である本作は、明利の高い構成力が活きたものとなっている。
各編において、探偵役を務める赤茨耕一によって、幽霊の来歴・幽霊絡みの事件の真相が明かされていくのだが、読み進めるうちに段々と赤茨自身とユウコのふるまいが得体の知れないものとして映るようになる。

  • 赤茨はなぜここにいるのか。
  • 赤茨はなぜそんなことを調べているのか。
  • ユウコはそもそも何者なのか。

――これらが、謎として浮上してくるのだ。

 

死者の謎が解き明かされていく一方で、赤茨周辺から謎が溢れ出てくる。
そして、最後の一編で、残されている赤茨周辺の謎が一気に解決される。
――独立した短編が有機的に絡みあう連作短編集という形式をうまく活かした構成だ。

ひとつひとつの短編も、幽霊たちの怨念に背筋の凍るような想いをさせられるものや、どこかほっこりとするようなホラー・ファンタジーもあったりと、ホラー小説として申し分ない。

 

明利は綿密に物語を作りこんでいて、たとえば赤茨耕一が人間味のない、得体の知れない人物として描かれているのも、赤茨自身を強力なフックのある謎として提示するための工夫であろう。
前作においてもそうだったが、明利は突き放すでもなく、寄るでもなく、どこか距離感をとったような語り口で主人公を語るときがあるが*1、それだけに前述の工夫も活きており、明利の構成力の高さ、作り込み具合には唸らされるばかりだ。

 

作り込みという点に関して触れておきたいことがある。
今作では、赤茨が全国のあちこちを飛び回って調査しているのだが、携帯をあまり使っている様子がなく、現代劇としてはどこか不自然に思える。
だが、「五噺 おかしな珈琲店」に次のような描写があることを見過ごしてはならない。

 

「そうだと思いました」と煙草の箱を渡してきた。(中略)赤茨耕一はちゃっかり、「二百七十円ですから」といった。

 

そう。一箱が270円なのである。
たとえば、マイルドセブンは1997年に230円という価格で販売されていた。それが、1999年に250円、2003年に270円、2006年にようやく300円に……といった具合で価格が推移していったわけだが*2、そこから考えると、タバコ一箱が270円ということから考えて、時代設定はおそらく90年代後半、遅くても00年代のド頭だと考えられる。
従って、赤茨が携帯を所有していないとしてもまるで不思議ではない。00年代のド頭までは携帯を持っていない人もまれにいたからだ。

 

時代設定は明示されてはいない。だが、タバコの価格が出てきたのは、時代設定を示唆したものだろう。

深く読んでくれる読者へのサーヴィスとでもいうか。そういう作り込みは嫌いではない。ミュージシャンがジャケットやブックレットに潜ませてきた“音楽的な文脈”を読み込んできた渋谷系直撃世代の私としては、むしろ、好きだ。

 

ひとつだけ難があるとすれば、赤茨と幽霊たちのやりとりが時折、緊張感を失っていること。ただ、それも、赤茨自身を得体の知れない者として描いたからこそ、幽霊よりも得体が知れなくなってしまって緊張感が薄れたわけで、作品の構成上、仕方がない話ではあろうが。

 


明利は前作『旧校舎は茜色の迷宮』において、ミステリ作家としての可能性=伏線の扱いにおける手さばきの妙と、青春小説の書き手としての可能性=甘酸っぱい物語のやさしい語り口を提示してみせた。
今作『幽歴探偵アカイバラ』において、明利は高い構成力をより打ち出す形で、ミステリとして完成度の高い連作短編集を作り上げ、ミステリ作家としての可能性を強く提示した。
だが、もし私の願いが叶うならば、次は青春小説の書き手としての可能性を強く打ち出したものを読んでみたい。テクニカルの次はエモーショナルで。はたして、私の夢は叶うだろうか。

*1:「四噺 古竜が棲む湖」に登場するカズトと彼の母親を語る際のあたたかな語り口と、実に対照的である

*2:なお、マルボロは発売開始当初は280円。1998年に240円に下がり、2003年に260円へ、2006年に320円へと値上がりした