現代の、そして音楽以外にも通用する「作りかた」とは。そして、渋谷系に関する誤解について~『「ヒットソング」の作りかた』を読んで

牧村憲一さんの『「ヒットソング」の作りかた』を読了した。以下、簡単な感想を。

 

 

本書は、加藤和彦シュガーベイブ竹内まりやフリッパーズ・ギターの制作・宣伝を手がけてきた牧村憲一氏による回顧録である。

回顧録とはいえど、牧村が行ってきた「作りかた」は現代に通用するであろうものであり、陳腐な物言いにはなるが、目から鱗が落ちることしきりだ。

 

プロデューサーの仕事とは、「創る」「伝える」「つなぐ」「続ける」という四つの「つ」をする、そして、そのすべてに責任を持つことだと僕は思っています。(中略)「アーティストに問いかけること」もプロデューサーの役割だと思います。(113~114ページ)

 

雑誌がカルチャーを先導する時代は、二〇世紀で終わりました。日々、ネットの存在感が増していますが、まだコアなメディアとまでは言えません。しかし、最も伝えたいのはどういう人か、そのためにはどういう媒体にどうやって伝えてもらうのか(略)その時代に合った選択をしていくということに変わりはありません。(119ページ)

 

こういった言葉は、ポップ・ミュージックに限らず、あらゆるポップ・カルチャーに通じるところだろう。また、牧村は「自分の部屋だけでもの作りが完結する」ことの限界も指摘しているが、これもまた宅録に限らず、たとえば本作りに関しても通じるところはあるだろう。

マスに位置するいくつかのものが行き詰まっていく理由や、「ライフスタイルが多様化し、購買者・リスナーの在り方が劇的に変わってしまった今の時代」においては「三万から四、五万枚ぐらいまで」がヒットの目安となるという指摘も非常に頷けるものがある。ポップ・ミュージックの愛好家だけでなく、編集者にも読んでもらいたい一冊だ。

とはいえど、いくつか残念なポイントはある。

牧村氏にはそのつもりはないとは思うが、紙数の関係で、マスとマスでないものという切り分け方になっているように読めてしまい、もやっとした。ヒット曲を出す前の、つまりマスにたどり着く前のポップスターたちの姿をマス予備軍としてしか描けていないことには、少し寂しさを覚えた。

また、本書の内容とは直接は関係ないが、帯の文句「あの『名盤』誕生の真相を明かす。」にももやっとさせられた。読者にではなく、牧村氏に不誠実であるように感じられた。

なぜなら、牧村は「名盤」誕生の真相を語っているわけではないからだ。「名盤」が生まれる瞬間に立ち会った者として、証言を残しているにすぎないからだ。なんにでも真相があると思うとする、謎は解かれるべきという態度には窮屈さすら感じる。繰り返しになるが、牧村氏に不誠実な帯だと思う。

 

TRATTORIAレーベルは「渋谷系」の総本山ではない

ところで、本書には渋谷系に関して面白い指摘がある。

TRATTORIAレーベルを「渋谷系」音楽の総本山という向きもありますが、正確に言えばそれは間違っています。僕よりずっと若いプロデューサーが起こしたクルーエル・レコーズやエスカレーター・レコーズなどのインディーズレーベルこそがむしろ「渋谷系」の中心であったと思います。(183ページ)

 

このことについては、牧村氏はツイッターで補言するような言及を行っている。

「『渋谷系』とフリッパーズは直接は関係ありませんし、ましてやWITS、WITZのL⇔Rスパイラルライフは『渋谷系』にはまったく関係ありません。むしろ避けていたくらいです。」*1

 

「『渋谷系』という言葉が聞こえてきたのは1993年以降です。その後NHKで『渋谷系特集』があったので間違いありません。当時『渋谷系』なに?という感じで、どちらかというと後追いの方々や、記事等が寧ろ盛んに使用していたと思います。そのコピペがみなさんを惑わしたのだと思います。」

 


「直接は」というところがポイントである。

とはいえど、ここは説明が必要だろう。私なりに補足してみる。

 

まず、前提。

そもそもフリッパーズ・ギターの活動時期が1989~91年であり、「渋谷系」という言葉が世で使われメディアでも取り上げられたのが93年頃からであるため、フリッパーズ・ギター渋谷系のバンドというのは無理がある。

渋谷系」という言葉がメディアで取り上げられ始めた頃、確かにフリッパーズ・ギター渋谷系の文脈で語られることはあった。小沢くんと小山田くんが昔2人でやっていたバンドということでの語られ方。彼らの音楽、そして引用のセンスは「渋谷系」的だよねという回顧した上での語られ方だ。*2

ゆえに、リアルタイムでフリッパーズ・ギターを聴いていたような人は、「ああ、彼らって渋谷系に括られちゃうんだ」という感じで認識していたはずである。かく言う私も、小学生時代に彼らをリアルタイムで聴いていたわけだが、凡そ以上のような認識だった。*3

 

話を戻すが、回顧した上でフリッパーズ渋谷系の文脈で語るというのは、確かにあった。だが、「外野」にいる人たちの中にはその視点を説明せずに並列で語っているものもあった。実際に、地元のTSUTAYAで「渋谷系が流行っている」的なコーナーに彼らのアルバムが並べんでいるのを見たことがある。*4

それはともかくとして。1993年当時こそ2年前のことはきちんと2年前のこと、前史であるとみなされていたわけだが、20年ほどたった時点から「渋谷系」を観測した人にとっては、93年と91年は大差なく見えてしまうというのが、フリッパーズ渋谷系の問題をややこしくするポイントではないかと私は思う。

当時は外野にいた人たち(特にオタク側の人たち)がライターとして90年代サブカルを語るような状況が10年ほど続いていることも原因としてはあるとは思うが……。

*1:スパイラル・ライフに関しては、たとえば96年に出た『渋谷系元ネタディスクガイド』(太田出版)で触れられてはいたが、ここで触れることに驚く方もいるはずという断りもあったくらい。それまで渋谷系の文脈で語られてきたことはなかった。

*2:余談だが。ある意味で「渋谷系」のアティテュードを最も具現化したようなポップでキャッチーでパンクな存在、それが彼らだったわけだが、「渋谷系」という言葉が世に出た頃にはフリッパーズ・ギターは解散して2年がたっていた――という捻れは実に面白い。

*3:「もう教養になっちゃったんだ」と思った。

*4:なお、件の地元のTSUTAYAの「渋谷系が流行っている」棚には、小沢くん、ピチカートと一緒にMr.ChildrenL⇔Rスピッツも並んでいた。あれほどひどい棚は記憶にない。