「ファー・アウェイ・アイズ」はまだ聴こえているか?

野口卓は蔦屋重三郎である~野口卓『大名絵師写楽』を読んで

野口卓『大名絵師写楽』(新潮社)を読んだ。

 

大名絵師写楽

大名絵師写楽

 

 

傑作。江戸時代の空気感や喧騒が鮮やかに描かれた上質な時代小説でもあり、同時にミステリとしても一級品だった。

 

本書のミステリとしての肝は、「謎多き東洲斎写楽は何者か?」ではない。

本書の肝は「板元の主人・蔦屋重三郎は〈東洲斎写楽〉をどのようにプロデュースし、幕を引いたか」である。

 

物語は、「耕書堂」の主人・蔦屋重三郎が一枚の絵に惹かれたところから始まる。重三郎は踊り狂う男を描いた謎の画家に惚れ込み、画家の正体を探る。重三郎は謎の男の正体をつきとめることに成功。画家と組んで大首絵を出そうと奔走する。こうして重三郎による〈東洲斎写楽〉のプロデュースが始まり、「大谷鬼次の奴江戸兵衛」をはじめとする大判絵28枚が世に出るのだった――というのが、あらすじだ。

 

作中で、蔦屋重三郎はトリックを仕掛け続ける。黒雲母摺が華美にすぎるとお上に目をつけられれば、切り抜けようと画策する。写楽の正体を見破られそうになると、策をひねり出す。変わりゆく状況に翻弄され、重三郎はとにかく足掻く。その様がたまらなく面白い。重三郎自身のエゴや焦りもあって、物語の着地点がなかなか見えてこないことが、ミステリ的な興味に奉仕する。だから、ミステリとしても面白いのである。

 

繰り返しになるが、本書は、時代小説作家として知られる野口卓の奇想、ドラマ作りの才覚が炸裂した傑作時代小説であり、傑作ミステリである。

だが、それ以上に私は、本書を編集者として楽しく読んだ。蔦屋重三郎という編集者を主人公とする物語として抜群に面白いし、うなずける部分が多いのだ。編集者のエゴと焦りみたいなものがありありと描かれていて、そこに強く惹かれたのである。

 

ここからは余談。
実は野口卓さんは私の上司だった。私が編集者としての「いろは」を仕込まれた編集プロダクション・木杳舎で、私を拾ってくれたのが野口さんとNさんだった。

『軍鶏侍』(祥伝社文庫)で時代小説家としてデビューした野口さんは小説家に専念するため、退職することになる。

 

軍鶏侍 (祥伝社文庫)

軍鶏侍 (祥伝社文庫)

 

 

最後の日に「君のことはNくんに頼んでおいたから」と言って野口さんは去っていったのを今もキョーレツに覚えている。*1
 
まあ、なんというか。編集者としての野口さんも重三郎のようなタイプだったなと、読んでいて嬉しくなった。胸が熱くなった。編集者にオススメの小説ですぜ。
 

*1:やがて、私はNさんを巻き込んで「ボカマガ」を立ち上げることになる。